マンドリンの穴から何が見えるか?
マリオネットサークル会報 Vol.1~2
掲載/94年
去年の南蛮渡来を思い起こされると思うが、今年は、何とマンドリンが日本に初めて渡来してから百年目にあたるらしい。別に、オフィス・マリオネットは記念行事を取り行なうための団体ではないが、そういうことに便乗するにやぶさかではない。 従って、私・吉田剛士は、この記念すべき年をひとつの節目と捉え、9月に自作のマンドリン曲を中心としたコンサートを行ない、自らの音楽と、マンドリンに対する思いを、現段階で一区切りとしてまとめてみたいと思っている。勿論、湯淺、海井との共同開発事業としてである。サークル誌発刊にあたり、9月のコンサートの伏線としてマンドリンに関わる事を書いてみた。
〜マンドリンは世界を救えるか?〜
「南蛮」は、日本人にとって、遠きものへのあこがれの源泉だと思います。通信による情報などまったくない時代。日本人は、はるかな海のかなたからやってくるポルトガル人に強烈な衝撃を受けたはずです。その衝撃は、やがて、日本人の内部で昇華され、ひとつの美意識にまで高まりました。「南蛮」ということばを耳にするだけで、はるかな海のむこうに、心をときめかせる人々がたくさんいただろうと想像します。
作家・山本兼一●「利休にたずねよ」直木賞/「銀の島」は石見銀山を目指す話
「あ、マリオネット…。あの変わったことをやっている人達ね~。」と言われたのは、いつのことだったろうか。確かに「マリオネット」は他に類を見ない「変わったこと」をやっていたので、正面から反論する気にもならなかったが、恐らく十中八九嘲笑を含んでいたその物言いに、少なくとも私どもが気を良くした記憶はない。
それから十数年を経た今年2013年、私と「マリオネット」は「第6回石見銀山文化賞・特別賞」を受賞することになった。周知の通り「石見銀山」はユネスコが認定した世界遺産。16世紀、ポルトガルが先鞭をつけた大航海時代、「石見銀山」で製錬される上質な「銀」は、遠く欧州の果てまで名を馳せていた。また「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、「.鉱山(金・銀・銅)に関係する世界遺産」ながら、深い森の自然に恵まれ、永年の人的努力により、その豊かな生態系との共存を奇跡的に保ってきた。この賞は、それらの歴史と文化を有する世界文化遺産「石見銀山」を、広く世に普及した活動に対して贈られる。因みに今年は「日本・ポルトガル交流470周年」である。国内外でも様々なイベントが企画されている。その記念すべき年の受賞の奇遇に、私と「マリオネット」は更に深い僥倖を噛みしめている。
ところで、もとより私は日本人が弾くべき「ポルトガルギター」の必然的表現とは何か?を自問してきた。その結果たどり着いたのが、東洋と西洋の出会いに端を発する「南蛮文化」の持つ「美」であった。その「美」の半分以上は、この国の「美」である。その「美」を前に、私たちはネイティブである。その「美」の中へ、日本人たる私は素直に入って行ける。しかし、その眼差しによる創作は、通俗的な外来楽器としての「ポルトガルギター」演奏を前提とすると、嘲笑的な「変わったこと」として映ったのだろう。さても、前例のない事を「変わったこと」と言いたくなるのは世の常だが、そんな揶揄に抗するのは不毛な議論に身を落とすようで、私は好まない。もし、私の信じた「美」が普遍に触れているなら、いつか多勢にも理解されよう。私は長年その思いで「私のポルトガルギター」、言い換えるならば『南蛮ぎたるら(namban guitarra)』を弾き続けてきた。
今回それが報われた。本当に嬉しい。私は素直に胸躍るように喜んでいる。そして、この受賞は、「マリオネット」が信念を持って他に類を見ない「変わったこと」をやり続けてきたからだと自負している。私どもの活動を認めて頂いた「石見銀山文化賞」の主催者・中村ブレイス(株)の中村俊郎氏には、心より深い感謝を申し上げる次第である。私はこの受賞を契機に、より深く広く『南蛮ぎたるら』の世界を追及しようと決意をあらたにしている。当然その創作において、大航海時代「南蛮貿易」の最終目的地であった「石見銀山」という場(=文化・歴史)の磁力(=地力)は、絶対に外せない要所である。今後とも私どものインスピレーションの宝庫、またイメージの源泉として末永いお付き合いを請うばかりである。最後になったが、その「美」を創り上げられるのは、異才のマンドリン奏者・吉田剛士とのユニット「マリオネット」しかないと確信している。今後とも皆様のご支援を賜りたく、ここに「第6回石見銀山文化賞・特別賞」受賞を謹んでご報告させて頂く。
〜クラシック、ブルーグラス、そして…〜
さて、皆さんはブルーグラスとは何かご存知だろうか?
今年の1月15日に“ポルトガルの珍楽器”ということで湯淺と共に「タモリの音楽は世界だ」に出演させて頂いたが、同じ番組でその前回に紹介されていたのがブルーグラスなので、ご覧になられた方は多少話が早いかもしれない。
ブルーグラスは1940年代にビル・モンローがケンタッキー州で確立した音楽スタイルで、一般にはカントリーに近い位置に認識されているが、アイルランド系の伝承音楽にブルースの要素が加わった音楽で、アコースティックな楽器編成を特徴とするひとつの独立したジャンルである。ブルーグラスでは、バンジョー、フィドル等の楽器と共にマンドリンが主役級の役割を果たす。但し、これはフラットマンドリンといって文字通りボディが平たい(flatな)マンドリンで、主にアメリカで発展した楽器である。形状の他は普通のマンドリンと決定的な違いはないが、概して野太く大きな音がするので、より力強い表現に適している。商業音楽の世界ではマンドリンの主流を占める。実際、ブルーグラスマンドリンのスタイルはその後のポップミュージックシーンでのマンドリンの在り方に決定的な影響を与えており、現代のマンドリンを語る際、決して避けて通れない重要な分野である。しかし時代が下るにつれ、ブルーグラス畑の人々の中にも、技術面や音楽面で革新的なことを求める動きは盛んになり、数々のトッププレイヤー達によって多くの事が成し遂げられてきた。音楽面での進歩も勿論重要 なのだが、むしろ私が興味深く思うのは、ここでマンドリンのテクニックの歴史性が見られることである。最も端的な例として、1950年頃にJ・マクレイノルズが編み出したとされているスプリットストリングという特殊技法と全く同様のものが既に18世紀の教則本に示されているという事実が挙げられる。要するに、あるアーティストが意識的にせよ無意識的にせよ、過去に確立したテクニックを取り入れて新しいスタイルを創ろうとしているわけである。他の多くの事例を考え合わせると、位相は異なるにせよ、同じマンドリンという楽器が歴史的に見てひとつの連綿たる流れの中に存在しているのを強く感じるのである。(余談になるが、クラシックマンドリン界とブルーグラスマンドリン界という2つの世界でのこの様な技術面での相互関係がかつて論じられた例を私は知らない。それでは私が論じてみようということで、近々とあるマイナーな雑誌に寄稿することになっている) とにかくマンドリンということにこだわる限り、クラシックもブルーグラスもないではないかというのが私の立場である。(因みに、現在マンドリンが活躍する主だった音楽ジャンルはショーロを数に入れなければこの 2つしかない)しかしながら、一般にクラシックマンドリン界とブルーグラスマンドリン界は面白いほど交流が無く、ともすればブルーグラスの人はクラシックマンドリンをトレモロだけの退屈な世界だと思いこみ、クラシックの人はブルーグラスを視野に入れずにマンドリンの未来について語ろうとしてきた。そのような断絶は恐らく音楽レベルでの非共通性によるものであろうが、単なる無知と閉鎖性によるところも大きいのではないかと思われる。マンドリンに関わる人々がこの断絶を乗り越え、限られた知識と音楽性の枠から飛び出してはじめてマンドリンの明日を語り合う土壌が出来るのではないだろうか。そして、私がそれを促す事は出来ないだろうか…。
さて、今回の記事も勿論9月のコンサートの伏線なのだが、前述の私の立場はそのチラシの中に2つの形で表わした。そのひとつが「18世紀から現代までのあらゆるジャンルの音楽をみわたし独自の感性で切りひらく新世界」というフレーズである。自分でいっておきながらお尻がうすら寒くなるような立派な文句だ。さあどうしようと七転八倒の日々である。